はあ~~、お呼びですかぁ~~

白衣の堕天使のぼやき

死に方用意!

最近は「終活」とか言って、自分の死に方を考えるようになっている。交通事故とか、災害などで不慮の死を遂げるのは一番悔しいが、ガンなどで余命を宣告されるのは、ある意味ありがたい。
自分があとどれくらいで死ぬのかがわかるのはガンくらいのもの。そりゃあ~「あなた、あと3か月の命です」と言われたらまずはショックだし、悲しい。
ある心理学者が、余命を宣告された時の人間の心理の流れを表した。
まず、否定「うそだ、そんなはずはない」と否定する
次に怒り「なんで、私がこんな病気にならないといけないの!」とわが身の不幸に怒る
それから取引「神様、これからは善行を積みますから、なんとか助けてもらえませんか?」と取引をする
それから鬱「何をしてもどうにもならないのか、もうだめなのか」と鬱状態になる
そして受容「しかたないよな、できる事なら苦しまずに死にたいな」と思うようになり
最後を迎える。まあ、その通りに行くかどうかは人によりけりだろうが、おおむね「なるほどね」と思う。
ある女性が乳がんになった。旦那さんが単身赴任中で、子育てに忙しくしていて、見逃してしまい、発見された時はリンパに転移があった。また、運が悪い事に、その時、旦那さんは浮気していたのだ。妻のガンがわかり、旦那さんは我に返り、妻の病気をなんとか治そうとした。彼女もありとあらゆる治療を試みた。脳に転移してからは、他県の病院でサイバーナイフという腫瘍を取る新しい治療にも行き、新薬も試して、民間療法も全部やった。髪は全部抜けて、全身の皮膚は放射線治療などでボロボロになっていた。切除した乳房の跡からは、臭いにおいのする液がダラダラと出て止まらなかった。いよいよ終わりが近づいて彼女は私に「最後の時を娘と主人と穏やかにすごしたい」と話したので、私は家族でホスピスへ見学に行き入所する事を勧めた。久しぶりの家族での外出。ファミレスで娘さんとピザを食べたり、買い物したり。楽しい一日を過ごした彼女は「私、間違ってたかもしれない。こんなに大金使って、時間使って、無駄な戦いするくらいなら、家族でゆっくりする時間を、もっと沢山持てばよかった。今さら遅いけどね」と話した。翌日出勤したら、すでに彼女は意識がなく、深夜に旅立った。ホスピスでの家族団らんな日は実現しなかった。霊感の強い同僚によると、彼女はしばらく病室に留まっていたが、同僚が「もう天に昇っていいんだよ」と声をかけると、さぁ~~と風を起こして天に昇っていったとの事。今でも彼女の顔は覚えている。綺麗な目をした人だった。

天国が本当にあるのか?地獄もあるのか?誰も行った事がない。

母は強し

私の母は現在家で寝たきり生活をしている。元々精神的に不安定な人で、他人を攻撃するため、一時期精神科に入院させた事もあるが、病名は「反応性精神病」というもので、何かのキーワードで突然激高するというやっかいな病気だった。退院して認知症のグループホームに入っているときに、40度の熱を出し、迎えに行って病院に連れて行ったら、胆石が悪化して胆嚢の中に膿が溜まり、腹膜炎を起こしていて「手遅れです」と言われたのだが・・・叔父とお葬式の段取りまで決めたが、無事に回復して自宅に退院、それから精神科の薬のせいで、歩行がフラフラで何度か転倒して精神安定剤を止めてみたが、ついに肋骨骨折にもなり、ベッド上で生活させるように私が仕向けた。通常なら、なるべく日常生活が自立するようにリハビリをするのだが、私は逆を選び、おかげで仕事も続けていられる。何しろ転ぶ心配も徘徊の心配もないのだから・・。4年になるが褥瘡もできず、良好に管理してきた。
ところが今朝「ばあさんが泡吹いている」と旦那が私を起こしにきて、行ってみたら、嘔吐したものを誤嚥して呼吸が止まりそうで、意識はなかった。「吸引器があれば・・」「このまま看取りかなあ」と考えながらも「でも、このまま逝かせてしまったら、昨日作った年賀状が使えなくなる。」などどくだらない事を考えて思い直し、掃除機を口に突っ込んで吸引、胸を叩いて呼吸を戻し、「呼吸とまりそうだったら教えて」と旦那に言って自室で着替えと化粧をしてから、119番通報し、近くの総合病院へ(私の出身母校の病院)。救急処置室に入ってから30分で医師と面談「今日はどうされましたか?」うーん、なんとも頼りないなあと思いながら状況を説明、今度は看護師が「嘔吐されたんでしょうね。パジャマの後ろに黒いものがついていたの気づきませんでしたか?」と言われて、我慢の糸がプッツン!「ああ、そうですか、気づきませんでした、なにしろ、気道確保と呼吸の確保で、それどころではなかったので」と返事すると「医療関係者ですか?」と。「私、この病院の看護学校の卒業生です」と答えたら看護師の顔色が変わり「あ・・ああ、そうですか」であとは何も言えなくなった。それから2時間近くまたされ、再び医師に呼ばれた時には、母は意識も回復していたが、やや混濁しててゴソゴソとベッドの上で暴れていた。「誤嚥性肺炎を起こしていますが、他は脳も血液も何の異常もありません、肺炎は極軽いものです、入院してもする事がないので、帰っていいです」
ということで、待合で私が待ってる間に徒歩で来た3人の患者さんが次々に入院になるのをしり目に、救急車で搬送された母は旦那の車に乗せて帰った。ちょっと熱が出たが、意識がなく呼吸が止まりかけてから15時間後、自分でプリンを食べるまでに回復。すごい生命力なのか、私の処置が良かったのか(自画自賛)まあ、これで安心して年賀状出せれるわ

プリンとヨーグルト自分で食べ、話す内容もほぼもとに戻った。すごいわあ

慣れの怖さ、忘れるありがたさ

看護師をしていると、患者の死に出会う。まあ、診療科や病院のタイプにもよるが、私が新人の時は整形外科だったので、一度も患者の死には出会わなかった。
内科勤務になって、初めて患者の死に出会った時は、緊張で、アンプルから薬液を注射器に吸い上げたいのに、手が震えて細い針先がアンプルに中々入らず、かといってどこにでも針先が当たっては「不潔」(医療現場では、無菌状態でなくなったら、不潔という)になるので、慎重にしないといけないと思えばさらに緊張・・・そしてイラついた医師から「早くしろ!」と怒鳴られ、極度に緊張・・・そんな状態で初めての患者の死を体験した。死亡したら、体中をきれいに拭いて、鼻の穴や、肛門など、穴という穴全部に真綿を詰める(真綿でないと中の水分が染み出てくるから、現在ではこれはしなくなった)死化粧をする、など昔は「死後の処置」と言っていたが、現在は「エンジェルケア」という事を行って、浴衣を左前に着せ、紐を縦結びにする。まだ、遺体は暖かいので違和感はなかった。家族が泣くのを見てもらい泣きもした。
それが、死に出会うのが2回目、3回目・・・となると、まず、緊張しない。そして、泣かない。慣れてしまうのだ。もっと怖いのはどんどん血圧が下がってきて、いよいよ臨終が近くなると「ええ~~お願いだから、あと2時間待ってよ、日勤が来てから逝って」と思うようになる。夜勤に出勤して、詰所でモニターがピッピと鳴っていると「げっ!誰が逝きそうなの?」などど同僚と話すようになる。そして、良く患者の死に目に当たる看護師の事を「憑いている」などどいうようにもなる。激しい時は毎日当たる。時には一晩で二人当たる。こうなると、一々家に帰って家族を起こして「塩」を撒いてもらうのも大変なので、玄関のポストの横に清めの塩を置いておく時もあった。
死化粧も慣れてくると、しわしわの口元をきれいにまとめたり、閉まらない口をうまく閉まらせたりできるようになる。なんだか、そういう技術が身に着いたのが誇らしくもあった。実際、うちの近所で亡くなった人の死後の処置に2回呼ばれて行った事もあった。
私の同僚で、信心深いモルモン教の信者の看護師がいたのだが、その人は患者に感情移入しすぎて、死に出会うたびに悲しくて、辛くて・・・看護師を辞めてしまった。私は、ありがたい事に(?)その時は、生前の患者とのかかわりを思い出し、辛いと思うのだが、結構早くに忘れてしまう。なので、こうして今でも看護師をしているし、親戚などで亡くなったりしたときには、率先して、一連の処置を行い、葬儀の手配などもしてしまう。便利なような・・・最近誰かのお葬式で声を上げて泣いたのは、幼馴染の同級生がガンで亡くなった時だけ・・あ!ネコのゴンちゃんや琴が亡くなった時も声上げて泣いたか・・・人間には、悲しみがわいてこなくなったのかなあ・・・?