はあ~~、お呼びですかぁ~~

白衣の堕天使のぼやき

慣れの怖さ、忘れるありがたさ

看護師をしていると、患者の死に出会う。まあ、診療科や病院のタイプにもよるが、私が新人の時は整形外科だったので、一度も患者の死には出会わなかった。
内科勤務になって、初めて患者の死に出会った時は、緊張で、アンプルから薬液を注射器に吸い上げたいのに、手が震えて細い針先がアンプルに中々入らず、かといってどこにでも針先が当たっては「不潔」(医療現場では、無菌状態でなくなったら、不潔という)になるので、慎重にしないといけないと思えばさらに緊張・・・そしてイラついた医師から「早くしろ!」と怒鳴られ、極度に緊張・・・そんな状態で初めての患者の死を体験した。死亡したら、体中をきれいに拭いて、鼻の穴や、肛門など、穴という穴全部に真綿を詰める(真綿でないと中の水分が染み出てくるから、現在ではこれはしなくなった)死化粧をする、など昔は「死後の処置」と言っていたが、現在は「エンジェルケア」という事を行って、浴衣を左前に着せ、紐を縦結びにする。まだ、遺体は暖かいので違和感はなかった。家族が泣くのを見てもらい泣きもした。
それが、死に出会うのが2回目、3回目・・・となると、まず、緊張しない。そして、泣かない。慣れてしまうのだ。もっと怖いのはどんどん血圧が下がってきて、いよいよ臨終が近くなると「ええ~~お願いだから、あと2時間待ってよ、日勤が来てから逝って」と思うようになる。夜勤に出勤して、詰所でモニターがピッピと鳴っていると「げっ!誰が逝きそうなの?」などど同僚と話すようになる。そして、良く患者の死に目に当たる看護師の事を「憑いている」などどいうようにもなる。激しい時は毎日当たる。時には一晩で二人当たる。こうなると、一々家に帰って家族を起こして「塩」を撒いてもらうのも大変なので、玄関のポストの横に清めの塩を置いておく時もあった。
死化粧も慣れてくると、しわしわの口元をきれいにまとめたり、閉まらない口をうまく閉まらせたりできるようになる。なんだか、そういう技術が身に着いたのが誇らしくもあった。実際、うちの近所で亡くなった人の死後の処置に2回呼ばれて行った事もあった。
私の同僚で、信心深いモルモン教の信者の看護師がいたのだが、その人は患者に感情移入しすぎて、死に出会うたびに悲しくて、辛くて・・・看護師を辞めてしまった。私は、ありがたい事に(?)その時は、生前の患者とのかかわりを思い出し、辛いと思うのだが、結構早くに忘れてしまう。なので、こうして今でも看護師をしているし、親戚などで亡くなったりしたときには、率先して、一連の処置を行い、葬儀の手配などもしてしまう。便利なような・・・最近誰かのお葬式で声を上げて泣いたのは、幼馴染の同級生がガンで亡くなった時だけ・・あ!ネコのゴンちゃんや琴が亡くなった時も声上げて泣いたか・・・人間には、悲しみがわいてこなくなったのかなあ・・・?